妖怪小話 ぬけむすめ

画の話である。とある高貴な所縁のある地主の家の夫婦が、一人娘を嫁に出すというのに、せめて姿だけでも手元に残しておきたいといって、当時名の知れた絵師に写させたという。

 娘の嫁入りの前の晩。一人の男が屋敷に忍び込んだ。娘に横恋慕をしていた商家の息子であった。結ばれぬと知ってなお諦めがつかなかったか、手をつけて仕舞えばあるいはと考えたか。

男は偶然目を覚ました住み込みの下働きに気付かなかった。細く開けた戸の向こう、十六夜の光がかすかに漏れ届く奥の廊下に、赤い着物の長い裾を引いた娘と、ゆらりと続く男の後姿を見た。奥へ進んで行くので忍び足で後ろを追った。娘はまるで迎え入れるようにある室の中へと入っていき、男も続いて入った。慌てて追ったが物音ひとつ聞こえぬので、訝しんで中を覗いたところ、白目を剥いて事切れている男の死体が一つ転がっていた。見れば娘を模して描いた絵を掛けていた部屋であった。

 


 人の口に戸はたてられぬもの。その夜の噂は瞬く間に広がった。その画が娘の身代わりに不義の男を殺したのではないかという話が其処彼処で囁かれた。婚姻も破談となり娘は屋敷に留まった。
 両親も大層気味悪がって、焼き捨てようということになったが、当の娘がそれを許さなかった。恐ろしがる両親から遠ざけるように自分の室に画を掛け、まるで友人か姉妹にするかのように毎日話し掛けるようになった。
 気が触れてしまったような娘の姿に耐えかねて、父親は娘の寝ている間に画をこっそり盗みとり、焼いて仕舞おうと考えた。はじめは下女達に頼んだが、関わりたい者などいるはずもなく、新月の夜、父親自ら娘の室に赴いた。

やがて空の白む頃、庭で顔かたちも分からぬほど黒く焦げた父親が見つかった。

 母親は酷く泣き叫び、その声はあたり一帯に響き渡り、眠っていた人々を起こした。門の周りに人が集まり始めた頃、母親の慟哭が止んだ。暫く後、夜着を赤く濡らし柔らかな髪を乱した娘が崩れ落ちそうな足取りで門に向かって歩いてきた。顔には母親のものであろう沢山の爪跡、夜着の赤は首と腹から流れ出ていた。胸には巻いた軸が抱かれていた。
 画を絵師の元へ返したいと言うので、近くの者が画を預かると、そのまま息を引き取った。以後屋敷に人は寄り付かず、母親については誰も語らぬという

 件の画は生み出した絵師に返された。

絵師は娘を描いたのち、あれ以上のものはもう描けぬと言って、筆を放り投げて、山菜や薪をとって細々と食い繋いでいた。名の知れた絵師であったからかつては弟子も幾人か居たが皆追い払い、一人死を待つばかりという様相であった。物好きな僧侶があの絵を届けに行くと、知っていたとばかりに待ち構えていた絵師は、粗末ながら作り立ての旨い飯で僧侶をもてなした。見たことのあるような無いような若い娘があばら家の奥に控えていた。

 

絵師はその数年の後の満月の日、眠るように息絶えていたところを見つけられた。横たわる亡骸の傍らには寄り添うように娘の画が並んでいたという。

 

娘の画は以後転々と持ち主を変え、そのうちに軸から無理に剥がされ適当な額に押し込められたところで行方知れずとなった。

 

 今も娘は夜毎紙を抜け出し、亡き想い人を探して彷徨うとも、或は男を襲うとも言われている。